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こんばんは

こんばんは
さくらの夫、チチです

早いものでさくらが旅立って1ヶ月半が過ぎようとしています。
11月の終わりからクリスマスまでのこの時期、さくらが好きな時期でした。

みなさまのさくらを想うコメント、ありがとうございました。
また、コメントへの返信もせず、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。

色々考えたのですが、コメントではなく記事で書き入れました。
ブログは初めてですので読みにくかったり、さくらのブログに私が記事を書き入れるのは不快と思われる方もいらっしゃるのではと思いましたが、どうかご容赦ください。


9/8の夜、誤飲性肺炎で通院している病院へ救急搬送され、自宅で過ごしたいとのさくらの希望で9/28に退院しました。
私は介護休業し、さくらは訪問看護を毎日2回、緩和クリニックの往診を週2~3回受ける事になりました。
嚥下低下による24時間点滴、カテーテル、歩行困難、タンの吸引必要となり、また、言葉が発しづらくなり、伝えたいのに伝わらない、聞きたいのに聞き取るのが難しい状態でした。
複視、視力の低下がありましたが、平仮名を書いたB4やA3サイズのボードをつくり、文字を指さしてもらい、私やヒナが復唱しながらメモしていきました。
また、掌や背中に文字を書いてもらい、復唱しながらメモしていきましたが、それでも文章にならない事も多く、2分程で終わる会話が、30分以上かかるといった具合でした。
また、意思疎通ができないストレスと、話しの内容による言い合いが絶えませんでした。

言い合いは絶えなかったのですが、痛む肩や右脚のマッサージしたり、鎖骨下あたりをさすったりしていたら気分が良さそうでした。
しばらくたった後、今までどおりの「よくある家族の会話」もするようになりましたが、3週目ぐらいから病状が日々進行していき、自分で身体を動かすことも難しく、寝たきりとなり眠る事が多くなりました。
かろうじて開く左目で私達を追って合図をくれたり、左手で手を握り返す程度となっていきました。ただ見守る事しかできませんでした。

10/28の明け方、タンを吸引し、ヒナを学校に送り出し、いつも通りさくらの顔や手を拭こうとした時、顔色が悪く、また、熱があるのかと思うくらい暖かいのに手足の指先も青白くになっていました。
丁度、訪問看護士さんが来て診察を始めましたが、「脈が凄くちょっと目を離した時に亡くなる可能性があり、さくらさんの体力次第です。ヒナちゃんを学校から呼び戻したほうがいいかも。」と言われました。
看護師さんがクリニックに報告し一旦帰り、その後様子をみていましたが、さくらが大きな声(?)を発しました。
話しかけながら駆け寄り、ヒナを呼ばなきゃと思い、すぐに学校に連絡しました。
その間、 聞こえる?、すぐに帰ってくるよ と呼びかけていました。
10分程してヒナが帰ってきて、さくらに「ハハ、ただいま」、「さくら、ヒナ帰ってきたよ、聞こえる?」と2人で呼びかけていました。
しばらくして、さくらは両目を開き、呼びかける私達をしばらく見つめて、両目を閉じました。
ただ眠るような、とても穏やかな表情でした。


書いていない事も書きたくない事も沢山あり、何度も心が折れそうになりました。
でも、以前からさくらが「自宅で家族と過ごしたい」と言っていたこと、そうさせてあげたいとの想い、クリニック,訪問看護,見守りのボランティアさん,ケアマネさん等の助けもあり、なんとかやっていけました。
ヒナも訪問看護士さんの手伝いをよくやってくれました。また、さくらのご友人もみなさんいい方たちばかりでした。

さくらが新たにブログを始めた事は、さくらの挙動(笑)で何となく・・かな?と思っていました。
でもそれについては詮索しないし何も言うまいと思っていましたが、私の態度に出ていたみたいです。
今年、ひょんな事からはっきりと見つけてしまいましたが、見ないようにしていました。
ヒナに聞いたら「ひなたぼっこでしょ、知ってる、書いてるの見てたりしたもん」との事・・・・。
(ブログに、私にバレたかも・・と書いてありましたが、覚えてないなあ・・)
私は他の人にあまり相談せず1人で考えこんでいたのが多かったので、この様な場を設けていたさくらが羨ましいです。
(私の友に話す→さくらとも繋がりがあるのでリーク・・。病状については専門外ですが私の主治医の先生も私の相談に色々と乗ってくれました。)

私は幼少時のケガ、成人後のCMLもあり、結婚などする事はないと思っていました。
まして子供なんて、私のケガのせいで今度は子供がいじめられたりしないかと。
でも、さくらと出会い、日々2人で過ごしていくにつれ、初めてあたたかな「光」というものを感じました。
そしてさくらが闇の中にいる私を助けてくれました。
失うものが何もないどうでもよかった私に、初めて失いたくない大切なものが生まれました。
恋が愛にかわり、結婚し、2人にとって大事なヒナも誕生しました。
さくらは幼少の頃から苦労してきたので、私がさくらの心の支えになれればと思っていました。
でも、私はさくらを理解しようとしていたのか?,本当に支えになっていたのか?,さくらの愛に答えていたのか? と感じています。
私の前で泣いてくれてよかったのに,甘えてくれればよかったのに・・、でも私は何の力にもなれず、すれちがいをおこし、さくらの心に負担を強いてしまってただけでした。
空いた穴は大きすぎて埋めることはできません。
考えてもどうにもならないのは分かっています。でも、考えてしまいます。
私はさくらが求めていたものに答えられませんでした。
そんな時にみなさんが支えになってくれたからこそ、さくらは前を向いていけました。
みなさん、さくらの力になってくれてありがとうございました。



さくらへ

そっちはどう?
さくらと出会って一緒に過ごしてきた13年、とても大切な13年でした。
良いこともあれば悪いこともあった、すべてが我々家族の大切な思い出です。
でも、さくらは私を助けてくれたけど、私はさくらを助けることができませんでした。
支えになれず、ごめんなさい。

さくらの友人から中学、高校時のエピソードを初めて聞きました。
一緒に齢を重ね、お互いまだ聞いたことのない話をたくさんしたかったです。
そして、ヒナと女子トークしている2人を羨ましそうにみることが出来ず残念です。

ヒナはさくらとのことをよく話しています。もう痛くないよね、楽になったよね、といつも言っています。
また、さくらが伝えようとしていたことが分かってきているようで、きちんと受け止める事が出来てきているようです。
私もヒナに、ハハとこんなことしたよ,あんなことあったよ,こう考えていたんだよ,ヒナはこんなに愛されていたんだよ とよく話しています。眠る時、寂しいと言っているので、夢の中ででも話しかけてやってください。

私はふと、付き合っていた頃や、結婚して間もない頃をよく思い出します。
悲しさ、寂しさ、後悔で涙が流れますが、そればかりではなく、「こんな事あったよな」とか「強烈すぎて何度も話しのネタにしたな」と、ふと笑ったりすることもあります。
あなたの姿、声、匂い、すべてが恋しいです。
「帯状疱疹」もいまでは笑い話・・・にして。

ジンも、普段文句ばかりが、優しい声で鳴きながら私によってきます。
さくらとの最初の子(!?)なので、本当の家族3人と猫1匹で暮らせればと考えています。
食事はさくらが残したレシピ帳を見たりして作っていますが、同じレシピでも、やっぱりあなたの作ってくれた料理が最高です。

私は前から言ってるように‶がんばる‶という言葉は苦手なので、どう言っていいのか分らないけど、また歩き始めるので、ヒナを見守ってください。
でも、たまに立ちつくしてしまって、私1人で涙を流すのは大目にみてください。

そうそう、旅立った後、あなたの得意な後出しじゃんけんが多々あり、悲しむとかではなく、もやもやする事があります(苦笑)。
いつになるかは分からないけど、もし私を待っていてくれるなら、小一時間ほど小言を言わせてもらうので覚悟しといてください(笑)。

さくら、ごめんね そしてありがとう これからの日々もよろしく。


チチ
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せとぎわ

実はさくら入院ナウ

このままだと、10日くらいで死ぬんだって。

引っ越しました

ブログの引越しなんて、

そんなに手間かかんないっしょ。

そうタカをくくっていた。

同じfc2での引越しだしね。

しかし。

これが義実家とのバタバタの中での

引越し作業。

そして何よりも一番恐れていた

チチにブログがバレタかも?

という、ガクガクブルブル状態になったので

突発的に行った引越し作業。

いずれはチチにもこのブログの事は知らせる。

しかし、まだその時期ではない。

チチに知られると、結局本音がかけなくなっちゃう。

以前のお気楽ブログがそうだったら。

一応、来春義実家に同居するので

それに合わせてHPを作る予定にしていた。

ブログもその時に新しくするつもりだった。

旧ブログと新ブログとして管理していく予定だった。

その準備も少しずつ始めてはいたんだけどなぁ・・。

ネットで色々調べてみたり、本なんかで勉強したり。

しかし、今のさくらじゃイマイチ・・・。

どなたか、御教示頂けませんかーー?

予想外のお引越しだったけれど

気分一新、

ブログのタイトルも参加ランキングジャンルも

変えて見ました。

基本的にブログのスタイルは今まで通り。

ただ。

病気持ちだけど、普通の主婦でもうすぐ3歳になる

子育て奮闘中のママ。

来春からは田舎の農家の義実家に長男の嫁として

同居するという、ちょっと身震いするような状況だけど

多分、チチとヒナとみんなで色んな事を

支えていくんだろうなーって事で

暫くランキングもこの未知のジャンルで頑張ってみます。

ブログタイトルには思いいれもあったし、

とても大切なブログだったけれど、

最近はそのブログを傷つける人もいて

データーを移さず、全く新たに・・

とも考えたんだけど、それはやっぱり出来なかった。

今回のこの

『のうかんか~ん』

というブログのタイトル。

これはヒナがさくらとチチとの会話を聞いて

こう呟きそれが可愛くって

あ、これ貰い!!ってことに。



さ、今日から12月。

再始動。

そして義実家同居まであと5ヶ月。

このいつでもPC生活もあと5ヶ月・・・・。

この一週間。

書きたい事、色々あったのよ。

それはまたおいおい・・・。

前回書いた、交渉の話とか。

その交渉に至るまでに一悶着ありまして。

さくらはB型男には昔から振り回される。

ちなみに今回のB型男は義父である。




↓   ↓   心機一転頑張ります






↓   ↓   色んな事と只今闘っています

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発覚から退院までの備忘録

2008/3月

ヒナへの授乳中、今までに経験した事のない激しい頭痛に襲われる。

意識が遠のく感覚もあり翌日脳神経外科クリニック(個人)を受診。

MRI(造影剤なし)で脳腫瘍と診断され翌日、国立病院へ行くように

紹介状とMRIを貸し出して貰う。

国立病院でもやはり画像から脳腫瘍、ただしこの時点では症状などから良性と

判断され、その時診断した医師が4月から某大学病院へ移動となるので

とりあえず、4月に最初に行ったクリニックで造影剤でのMRIを撮影し

その後ヒナの状況(授乳の点からの配慮)を見て、夏頃の手術を予定される。

2008/3月

セカンドオピニオンを兼ねて、脳腫瘍専門医師で有名な

某医師が執刀する病院の系列病院を受診。

そこで造影剤でのMRIを取ったところ、良性ではなく悪性、

それも脳幹部の腫瘍だと判明。

自分1人では判断しかねるとの事で翌日某医師が執刀する病院の

脳外科部長へ診断して貰うように言われ紹介状を渡される。

脳外科部長も同じく脳幹グリオーマと診断。悪性(しかも脳幹グリオーマ)だと

某医師の専門外な為、説明もろくに無く帰される。

帰宅直後、当の某医師から電話あり。メールを読んで連絡をくれた。

たった今、執刀病院の脳外科部長からお払い箱を受けた事を説明。

某医師は翌週病院へ行くので再度自分で画像を確かめて連絡すると言うも

結局連絡は無かった。

2008/4月

某医師からの連絡が無かったので、最初に行ったクリニックへ行き

経緯と貰った造影剤でのMRI画像を見て貰う。

クリニックの医師から直ぐに大学病院へ行き、教授に就任した

国立病院で診てもらった医師に診断して貰えるように

紹介状を書いて貰う。

その際、クリニックの医師から何故大学病院で診て貰う事がいいのか等

細かな説明を受ける。

2008/4月

大学病院で教授となった医師と再会。

簡単な体の機能検査などを受け、入院を勧められる。

2008/4/22

大学病院へ入院。

より細かなMRI撮影、脳波、神経経路、耳鼻科系、PETCT 等

様々な検査を受ける。

検査が進むにつれ、主治医が教授から脳腫瘍専門の准教授へと変わる。

2008/5月(GW明け)

様々な検査の結果、脳幹グリオーマと断定。

手術での摘出は不可。治療は放射線、化学療法となると説明。

ただ、場所的にほんの僅かだが取り出せる場所があるので

組織検査を行う為にも生検手術をし、より正確な状況診断と

今後、脳の圧迫に備え該当部の骨を外し余裕を持たす為に

骨の代わりにチタンを入れる手術をする予定だと説明を受ける。

2008/5/13

生検手術実施(7時間弱)。

2008/5月(術後)

ICUへ2日入り、3日目から個室へ移動。

術後覚醒した途端から左目の奥、まさに脳の痛みを感じ

吐き気と眩暈でICUでは水すら満足に飲めず。

個室へ移動した3日目、依然続く驚異的な頭痛と眩暈と吐き気で

自分でまだ起き上がることすら出来ず。

ステロイドの投与が開始される。

2008/5月(術後4日目)

ステロイドが効いたのか、吐き気が随分治まり

頭痛も少し軽減されたので食事も介助なしになる。

道尿も外れ、車椅子での移動が始まる。

2008/5月(術後7日)

付添い付きでの歩行許可

しかし、リハビリも兼ねて1人で病棟をウロウロ。

ステロイドの投与も終わる。

術後からずっと頭を右向きで寝ていたいたので

左の首筋がムチウチのような感覚になる。

左後頭部は傷の周りを基点にほぼ全体が痺れており

感覚も殆どない。

左目周辺と左目奥の痛みは依然続く。

2008/5/24

半分抜糸。しかし思った以上に傷の治りが悪く

その場で再度ホッチキスで3箇所留められる(麻酔もなくかなり痛かった)

翌日、ようやく個室から大部屋へ移動となる。



2008/5/26

生検手術を元に行った組織検査での結果、

グレードⅡ、増殖活動を表すMIB-1は非常に低いとの診断。

傷の回復具合を診てから、放射線治療へ進むとの説明を受ける。

2008/5/27

2回目の抜糸。前回留め直した3箇所はまだ不安な為そのまま残す。

傷痕付近に髄液が溜まっている事が判明。

翌日、左頚椎付近から注射器により髄液を抜く。

この時、脳が引っ張られるような痛みというか表現しようのない

痛みと感覚に陥る。

2008/5/29

最後の抜糸が終わり、翌日包帯も解除される。

MRI撮影するも異常なしとの事。

2008/5/30

18日ぶりのシャンプー(介助付き)後、週末なので午後から外泊許可をもらい

自宅へ。


2008/6/2

放射線治療開始(1.8グレイ×27回)

副反応としては倦怠感、食欲不振、脱毛、

左こめかみから脳へと走る刺すような痛み、

聴力異変(音が低く聞こえる)等。

しかし、治療中車椅子を使う事もなく白血球値も予想内の減少で

なんとか乗り切る。

2008/7/1

放射線治療終了。

2008/7/3

半ば強制的に退院。

担当医からはもう1日様子を見るように言われたが

主治医の准教授に許可を貰って即退院手続きを行う。




↓   ↓  ざっと病気発覚から退院までの経緯を書きました。




↓  ↓   随時、思い出した症状などは

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ


↓  ↓   これからも付け足していこうと思います。


今日から。

今日からブログを書くことにしました。


まずは簡単な自己紹介を。



私こと、さくら現在34歳の主婦。

今から3年前に結婚し、2年間の不妊治療の末

今年の1月に待望のベビーが産まれました。

初めての育児は戸惑いも多く、毎日悪戦苦闘してます。

ようやく育児にも慣れてきた矢先にまさかの脳腫瘍が発覚。

現在、治療法を決めるべく色々病院を回っています。



愛しい娘っこ、ヒナ。もうすぐ生後3ヶ月。

お腹の中にいた時からかなりお転婆さんで

毎回エコーでは反り繰り返って顔が見えず

ドクターからは‘愛想の無い子(笑)’と言われるほど。

切迫流産、妊娠悪阻、切迫早産、更には予定日超えての出産と

ずっーーーと気がきじゃない妊娠ライフの末に産まれました。



優しい旦那様(通称チチ)現在36歳。

とにかく優しくて、ヒナのお世話も積極的。

ヒナの扱いは超お姫様級。そんなチチをわかっているからか

ヒナはチチの顔を見るとすぐに‘抱けーー’と泣き

ちょっと抱き方が気に食わないとギャン泣きして

チチを困らせます。

生後3ヶ月のヒナから翻弄されっぱなしです。




最後に我家の愛猫、ジン。

2年前の春に我家にやって来ました。

ヒナが産まれるまでは我家のアイドルだったのに

最近、ヒナに押されて少々御不満な様子。

ヒナの事は自分より弱い存在と認識はしているみたい。

ヒナが泣くと私やチチの方を見ながら

‘泣いてるぞ、早く泣き止ませろよーー’

とでも言いたげな顔をし、逃げていきます。(笑)



以上、どこにでもいる極々普通の家族に

突然降りかかった脳腫瘍という病気。

日に日に成長する我が子とそして私の闘病の記録を

これから綴っていこうと思います。

プロフィ~ル

sakura

Author:sakura
アラフォー世代
一児の母で病気持ち

初めての方はカテゴリの
‘御挨拶’をお読み下されば
病気の事は解って頂けると
思います。

病気持ちだけど
普通に主婦して
子育てに奮闘して
日々大切に暮らしています。

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